Claude Sonnet 5は執筆向きだ
「効く」「止まる」などの不自然な日本語からおさらば
にしむらです。
claude sonnet5でましたね。
fableでもないしopusでもないから結局コスパモデルで複雑なタスクに使えないからと期待していない人が多いんですが、実はこれ文章にかなり使えるということがわかりました。
というのも、今まですごく気になっていた「効く」とか「○○で止まります」みたいな、AI臭い文章にならないんです。
ちょっとこれはかなり感動しますね、正直僕の使い方の中ではopus4.8なんかより全然良いです。
百聞は一見にしかずだと思いますので、後は以下をご覧ください。
sonnet5で作った、ポン出しの記事です。
よければ、皆さんがどう感じたかについても、コメントやリスタックで教えてくれるとうれしいです。
自分で言うのもなんだけど、僕は人よりメタ認知が強いタイプだと思う。何かを読んでいるとき、内容そのものだけでなく「なぜ自分はこれを読みやすいと感じているのか」「この間の取り方はどこから来ているのか」を、頭の片隅でずっと観察してしまう癖がある。
普段はこの癖、文章を書く仕事をする上でわりと役に立っている。ただひとつだけ、地味に損している自覚もあった。AIが書いた文章を、かなり早い段階で見抜いてしまうのだ。
具体的にはこういう瞬間だ。文法は破綻していないし、論理もそれなりに通っている。なのに2段落目あたりで、頭のどこかで「あ、これAIだ」というスイッチが入る。それ以降は、内容がどれだけ良くても素直に読めなくなる。信頼が半分抜けた状態で読むから、感心する前に距離を取ってしまう。
原因はだいたい決まっている。文の長さが揃いすぎている。「〜という点が挙げられます」「〜と言えるでしょう」のような、便利だけど個性のない締め方が繰り返される。段落の終わりに、必ず一度それまでの内容を丁寧に要約し直す律儀さ。どんな話題でも、賛成と反対をきちんと両方並べてから当たり障りのない着地点に降りる公平さ。ひとつひとつは欠点というほどでもないんだけど、揃うと「これは人が書いたリズムじゃないな」という感触が残る。
先日、仕事の文章をいくつかClaude Sonnet 5に書いてもらう機会があった。正直、いつもの癖でスイッチの場所を探しながら読んでいたと思う。でも、なかなか見つからなかった。
一番違うと感じたのは、説明の省き方だった。自然な日本語の文章は、実は「言わなくてもわかることは言わない」というルールでかなりの部分ができている。主語を省く、文脈で通じるところは端折る、言い切らずに余白を残す。今まで触ってきたAIの文章はここが苦手で、律儀に主語を補ったり、もうわかっていることをもう一度説明し直したりして、結果として親切だけど間延びした文章になりがちだった。Sonnet 5は、その「省いていい場所」の判断が、体感でかなり人間寄りだった。
もうひとつ気づいたのは、段落のつなぎ方だ。「しかし」「また」「そして」を律儀に置いて論理をつなぐのではなく、内容の流れそのもので次の段落に滑り込んでいく書き方ができていた。接続詞に頼らずに文脈だけで話をつなげるのは、人間でも意識してやらないと案外難しい。
もちろん、粗探しをすればゼロではない。長めの文章を書かせると、たまに「らしさ」が薄れる瞬間もある。それでも、これまで触ってきたAIの文章に比べると、その頻度は明らかに少ない。読んでいて「あ、AIだ」と思う回数が、体感で3分の1以下になった。
これはたぶん、ライティングをどこまで任せるかの線引きが変わる話でもある。今までは「構成と下書きまではAI、仕上げの文章は自分」という役割分担が、自分の中でほぼ固定されていた。Sonnet 5の出力を読んでいると、その線を少し後ろにずらしてもいいかもしれないと思い始めている。
メタ認知が強いことのちょっとした特技だと思っていた「AI文章センサー」が、今回は珍しく鳴らなかった。それだけの話なんだけど、書く仕事をしている身としては、地味に大きな出来事だった。



AIが書いた文章特有の**「均一なリズム」や「過剰な要約癖」**を見抜いてしまう感覚に、非常に強く共感いたしました。
Claude Sonnet 5が「言わなくても伝わる部分をあえて省く」という人間らしいバランスを捉えている点は、これまでのモデルの出力を知る身として驚きです。親切すぎて間延びする不自然さが消えるだけで、読み手としての構えや距離感が全く変わるのだと実感させられます。