「開発が滑った話」を発表したら、執筆依頼と開発案件が来た
【メディカルAI学会報告2記事目】クリエイターが「未完成の問い」を外に出すべき、たった一つの理由
※この記事は学会報告3部構成の2部目です。1部は既に執筆済みで、3部は以下の内容で作成していく予定です、興味がある方は購読して楽しみにしていてください。
3部:クリエイターは学会でビジネスチャンスを掴むといい話
メディカルAI学会のシンポジウムに登壇した話の続きです。
発表も面白かったのですが、それよりもよかった体験は、発表の後に起きたことでした。
おさらいですが、僕が話したのは、成功事例ではありません。
自分で作ったAIアプリが、現場でうまく動かなかった話です。
BPSモデル(生物・心理・社会モデル)を使って、患者さんの情報をAIで整理しようとした。 Slackに患者ごとのチャンネルを作り、そこから文脈を拾おうとした。 でも実際に動かすと、コンテキストが腐り、ハルシネーションが起き、アラートが増えすぎて、現場で使える形にはならなかった。
つまり、失敗談です。
ところが、その失敗談を話した後に、いろいろなことが起きました。
日本医事新報社やm3といった医療系メディアの方から執筆の依頼が来ました。 聴講していた工学系の方から、「一緒に開発しませんか」という声がありました。 名刺交換だけでは終わらない、具体的な協業の話がいくつも生まれました。
完成品を出したわけではないのに、です。
思えば、完成品を出さなかったからこそ、こうなったのだと思っています。
完成品には「余白」がない
学会発表というと、きれいに整った成果を出す場所だと思いがちです。
うまくいった研究。 きれいにまとまったデータ。 完成したシステム。 説得力のある結論。
もちろん、それは大事です。
でも今回、僕が話したのはそういうものではありませんでした。
AIモデルそのものの賢さだけでは足りなかった。 入力される情報をどう制御するのかが見えていなかった。 どの文脈を残し、どの文脈を捨てるか。 どこで人間が確認するか。 アラートをどの程度に抑えるか。
つまり、医療AIを現場で使うには、AIモデルではなくハーネス(AIを制御する仕組み)の設計が大事だ、という話をしました。
そこに反応してくれる人がいました。
ここから、クリエイターにとって重要な構造を考えることができました。
完成品は、完成品なのです(進次郎構文)。
つまり、完成品について聞いた人は「すごいな〜」で終わる。自分のアイデアを挟み込む余地がありません。
でも失敗には、余白がある。
「そこは◯◯の技術で解けるかもしれない」 「そこは伝え方を工夫すると面白い」 「そこは研究テーマになる」 「そこはプロダクトにできる」
聞いた人が、自分の専門性を差し込める隙間です。
完成品よりも、未完成の問いの方が、人を巻き込む力を持つことがある。
これは、発信する人にとってかなり大事な気づきだと思っています。
なぜ失敗談に人が集まるのか
たぶん、みんな同じところで困っているからです。
医療AIに関心がある人は増えています。 でも、実際に現場に入れようとすると、急に難しくなる。
個人情報はどうするのか。 倫理審査はどう通すのか。 現場のスタッフは本当に使ってくれるのか。 出力が間違っていたとき、誰が責任を持つのか。 プロトタイプと実運用の間にある谷を、どう越えるのか。
こうした問題は、きれいな成功事例だけを聞いていても見えてきません。
失敗談の中にこそ、現場で本当に詰まるポイントが出ます。
僕のアプリがうまくいかなかった話は、単なる個人的な失敗ではありませんでした。
医療AIを現場に入れようとする人が、おそらくどこかで必ずぶつかる問題でもあった。
だから、工学系の人にとっては開発課題として面白かった。 メディアの人にとっては、今の医療AIを語るリアルな論点として面白かった。 医療者にとっては、「わかる、現場で使うならそこが問題になるよね」だった。
これは医療の話に限らないと思います。
デザイナーが作りかけのプロダクトで悩んでいる話。 エンジニアが設計で詰まった話。 ライターが構成を決められなかった話。
どの分野でも、失敗の構造を言語化できる人は、外部の専門家と接続しやすくなります。
失敗をただの反省で終わらせる人と、失敗の構造を外に出す人では、その後に生まれる機会がまったく違います。
あなたが当たり前にやっていることは、外から見れば高度なコンテンツだ
発表後、チームで食事をしているときに出た話も印象に残っています。
「意外と自分たちが普段やっていることって、かなり洗練されているんだよね」
これは本当にそうだと思います。
医療者は、自分たちの日常業務をあまり特別なものだと思っていません。
患者さんの話を聞く。 背景を整理する。 家族関係を考える。 介護サービスを調整する。 本人の価値観を確認する。 退院後の生活を想像する。
日々当たり前にやっていること。 でも外から見ると、大量の暗黙知に支えられた高度な判断の連続です。
何を重要とみなすか。 どの情報を拾い、どの情報は一旦置いておくか。 どこで本人に確認し、どこで家族に聞くか。
これはそのまま、あらゆる職種に言えることです。
デザイナーが普段やっている観察。 エンジニアが普段やっている設計判断。 編集者が普段やっている構成の組み替え。 営業が普段やっている相手の温度感の読み取り。
本人にとっては当たり前でも、外から見れば十分に価値がある。
「自分には発信するほどのことがない」と思う人ほど、実は日常の中にコンテンツの種があります。
言語化していないだけです。
失敗を「構造化」すると、協業の入口になる
もう一つ、今回強く感じたことがあります。
失敗を話せる人は、協業しやすい。
上述した通り、成功事例だけを話していると、聞いている側は「すごいですね」で終わります。
でも、失敗の話をすると、聞いている側が入る余地が生まれます。
「それなら、こういう実装ができるかもしれない」 「その問題は、工学的にはこう整理できます」 「そこはUIの設計で変えられるかもしれません」 「一緒に作ったら面白いかもしれません」
未完成であることは、弱さであると同時に、他者が関われる余白です。
特にAIや医療DXのような領域では、一人で完成形まで持っていくのは難しい。
医師だけでは、システムは作れない。 エンジニアだけでは、現場のリアリティはわからない。 企業だけでは、本当の使われ方に届かないことがある。 メディアだけでは、現場の生々しい失敗まで拾いきれない。
だからこそ、途中の段階で外に出すことに意味があります。
今回、工学系の人たちから「一緒に開発しませんか」と声をかけてもらえたのは、まさにそういうことだったのだと思います。
自分だけで完結しない問いを出す。 自分が詰まっている場所を言葉にする。
すると、それを補完できる人が近づいてくる。
発信は、完成品の納品だけではありません。 協業者を見つけるための、問いの提示でもあります。
目の前の実装課題と、遠い未来の話が一気につながる場
食事の場では、かなり大きな未来の話もしました。
「AIの次のパラダイムシフトって、きっと寿命という概念が変わるときだよね」
少しSFのように聞こえるかもしれません。
でも、AI、医療、工学、メディア、事業の人たちが集まると、目の前のハーネス設計の話から、人間観の変容まで、一気に話がつながります。
この振れ幅が、異分野の人が集まる場の面白さです。
目の前の仕事をどう良くするか。 次にどんなプロダクトを作るか。 その先に、社会や人間観がどう変わるのか。
この三層を行き来できる会話は、日常業務だけをしていると、なかなか起きません。
良いプロダクトのアイデアは、最初から完成した企画書として生まれるとは限らない。
誰かの発表後の立ち話。 食事中の雑談。 「これ、作れたら面白いよね」という一言。
学会やイベントに行く価値は、登壇や聴講だけではありません。 その後の会話にこそ、次の仕事やプロダクトの種があります。
未完成を外に出す人だけが、次のチームを作れる
今回の学会で一番感じたのは、失敗を外に出すことの価値です。
うまくいったことだけを話していると、話は閉じます。 でも、うまくいかなかったことを構造化して話すと、そこに人が入ってきます。
メディアの人かもしれない。 エンジニアかもしれない。 研究者かもしれない。 同じ現場で悩んでいる同業者かもしれない。
僕が話した失敗は、僕だけの失敗ではありませんでした。
医療AIを現場に入れようとする人が、きっとどこかでぶつかる壁でした。
だからこそ、その失敗を話したことで、次の仕事やプロダクトにつながる関係が生まれた。
今回の学会でできた人間関係は、名刺交換ではありません。
次に何かを一緒に作るかもしれない関係。 次に記事を書くかもしれない関係。 次に研究や開発につながるかもしれない関係。
それが、失敗を外に出したことで生まれました。
この記事から持ち帰れる3つのまとめ
1. 完成品より「未完成の問い」を出す
完成品だけを出そうとすると、発信の機会はかなり減ります。 途中経過や失敗を出せる人は、発信の頻度が上がるだけでなく、他者が関われる余白を作れます。
2. 失敗は「反省」で止めず「構造化」する
うまくいかなかった体験を、ただの反省にしない。 どこで詰まったのか。なぜ詰まったのか。その問題は自分だけのものか、他の人も同じところでつまずくのか。 ここまで言語化すると、失敗はコンテンツになり、協業の入口になります。
3. 日常の実践を「外の人に伝わる言葉」に変換する
自分にとっては当たり前の判断や工夫でも、外の人から見れば十分に面白い。 発信するネタがないのではなく、言語化していないだけかもしれません。
失敗を隠すのではなく、外に出す。 日常の実践を、外の人に伝わる言葉にする。 発表後の雑談を、次の仕事の入口にする。
これは、医療者にもクリエイターにも使える姿勢だと思っています。




AIモデルの賢さではなく、コンテキストの維持やアラート制御といった「ハーネスの設計」こそが現場実装の本当の壁である、という失敗の解像度の高さに深く納得します。
実運用で誰もが突き当たるプロトタイプと現場の谷を、綺麗な成功譚ではなく構造化された失敗として開示されたからこそ、工学系やメディアといった異分野のプロが自分事としてリソースを差し込みたくなる「余白」が生まれたのだと、非常にクリアに腑に落ちました。